≪現在ブログ休止中≫ 期限を定めずに、過去の記事の大半を非公開にさせて頂きました。
by jean-cocteau
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以前のおしらせでも書きましたが、ブログの一部を独立して新たにスタート致しました。
ジャン・コクトーに関する記事のみを綴っていく 『HOTEL WELCOME』 興味のある方は限られてくると思いますが、個人的にはとても思い入れのあるブログです。かなり真面目な内容で雰囲気もこちらとは違いますので、気が向きましたらご覧頂けますと嬉しいです。 それから“女”をテーマにした新ブログ 『Femme!』 こちらもブログ内の女性に関する記事の改正したものをはじめ、これから色々な記事を追加していきますので宜しかったらご覧になって下さい。 ブログを整理した結果、3つに増えてしまいましたがどちらも宜しくお願い致します。勿論このメインブログも継続していきますので宜しくお願い致します。 以前の記事
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ミス・コンなどの『順位付け』についてとか
今年のミス・ベネズエラは耳の不自由な女性だそうです。
以前もミス・ユニバースだか何だったかで、耳の不自由な女性がグランプリに選ばれた事があった。あの人、綺麗だったなあ。耳が聞こえないから自分が選ばれたのが分からなくて、隣の人に「あなたよ!」って言われて、そこで自分がグランプリに選ばれた事に気付いて泣いちゃったんだよね。 ミス・コンって必ず反対する女性団体が出てきて、女性を見た目で判断するなとか色々言うけれど、嫌だと思うならほっとけば良い事なんじゃないの!? 別に自分が嫌だなと思う価値基準があったって構わないじゃん!? しかも大抵が言ってはいけないんだけれど、見た目的にイタイ人多いし……顔の造作じゃなくて、女を拒絶した様なパンツスーツでショートヘア、ノーメークの人も多くて「女は見た目じゃない!」って言われても、そういうところが痛いんだよねって感じがしてしまうんですよ。 なんでこんな事を書くかっていうとですね、昔、討論番組で車椅子の女性が 「どうしてミス・コンは五体満足じゃないとダメなんですか? 目、耳などが不自由な女性は醜いんですか!?」 ってスピーチして拍手貰ってた事があったのですね。冷たいんだけれど、 「耳の不自由な人、ミス・コン出てるじゃん。知らないのかな?」 とその時に思ってしまったんだよな。五体満足じゃ無い人や、目が不自由だと残念ながら美の基準からズレてしまうだけだよなあ……私は五体満足だけど、こういう美の基準からは大きくズレているから出場なんて出来ないですよ!? どうもこういう事を言っている人ほど、自分がミス・コンに出られるタイプだったら嬉々として出そうな感じがするんですよね。ひねくれてる!? まあ話を戻して、順位を付けるのが良くないと言うなら、出来れば学力の順位も……(笑 最近は運動会とかでも順位を付けないそうだけれど、学力の優れた人は学力で、運動能力の優れた人は運動で、美しい人は美しさでトップを目指して欲しいですね。 そしてそこで選ばれなくても、その人に価値がないというわけではないのだし。 【追記】 今回のベネズエラ代表の彼女は 手話で自己アピールをしたそうです。 #
by jean-cocteau
| 2006-09-16 00:38
| ニュース、報道について
大人の為の童話
かつて大人の為の童話と言うのが流行した事がありますが、大体の内容は物語の中の残虐なシーンやセクシャルなシーンで再版の度に変更された部分を、初版に載ったものはこうでしたと再現したに過ぎなかったと思う。
でも童話ってのは大抵の場合、残虐さやセクシャルな部分以外にも大人向け(若しくは大人が読むに耐えるだけ)のストーリーであるものは多い。 そんな中で私が好きなものにトーべ・ヤンソンの ムーミン シリーズがあります。 日本で放送されたアニメはあまりに子供向け、 ムーミン シリーズ全体 における成長や人間関係 、心の奥のドラマを描いていないものだったので、アニメのイメージで小説を読むとイメージが変わるかも知れません。 ミイは今の時代でも “現代っ子”と言える様なキャラクターで、人付き合いの為に自分を押し殺した末に透明人間になってしまったニンニに 「そんな人があると思って? あんたには、 いのちってものがないの? 鼻をピシャンとぶたれたいの? この人はおこることもできないんだわ。 それがあんたのわるいところよ。たたかうってことをおぼえないうちは、あんたにじぶんのかおはもてません。」 と、側に行って恐い顔で発破をかけたりする。 「天国だって? ……わたしたち、天国へいかなきゃならないの? どうやったら、そこからでてこられる?」 そんな、歯に衣着せぬミイは後にムーミン一家の養女として生活していくことになる。そんなミイの異父兄妹、スナフキンはミイの母親でもあるミムラ夫人と父親ヨクサルの話をムーミンパパから聞かされた時、 「ちょっとまって。ぼくのパパは、あのミムラがすきだったの?」 と訪ねます。 「すきだったともさ。わしのおぼえているかぎりでは、ふたりはいつもいっしょにかけまわったり、声をあわせてわらったりしていたよ。」 スナフキンは複雑な思いを抱えながら“鼻をならして、ぼうしを耳のところまでひきおろすと、まどのそとをじっとながめていた”。 「この子はね、それをスノークのお嬢さんにやるのさ。あの女の子に会ってから、ほんとにばかになっちゃったんだ。」 馬鹿になるのは恋だけじゃ無い、自分を探す時にふと人は馬鹿になる時がある。 ムーミンパパもひとことの説明も無しに家出した事が1度ならずある。 普段は家族をとても愛しているし、幸せなのだけれど、ある日ふと出ていった。 そしてム−ミンママは自分の当惑や悲しみ、慰めて欲しい気持ちから 「あの人はしばらくまえから、どこかへんだったのよ。」 と人に話す。でも実際のところはパパはいつもと比べて特に変だった事はなく、 ム−ミンママは“後から考えた説明”で自分を納得させようとしたのだ。 ム−ミンは主人公ム−ミントロールの成長と共に、一癖も二癖もあるキャラクター達が人間(?)模様を描く物語です。(それも特に成長や変化という前向きに困難を乗り越えるもの!)作者のト−べ・ヤンソンも言っているように 親愛なる日本のみなさん、フィンランドにあるム−ミン谷は、たぶんあなたが思っているほどあなたのところから遠くへだたってはいないのです。 とくに、わたしたちのようなおたがいの国のおとぎ話を読みあっていて、お話がほんとうのことだと信じる者どうしにとってはね。 きっと私達の身近なところにもム−ミン谷はあるのです。 #
by jean-cocteau
| 2006-08-03 19:42
| 映画、本のレビュー
フェイクとリアル
私はTVドラマをあまり観ません。何故興味が湧かないのかなと考えたら、現実の事件の方がより強い人間ドラマを感じさせると思うからにほかなりません。
数年前から、気になっている女性に曽我 ひとみさんがいます。 不謹慎かも知れませんが、彼女は本当にカッコいい。 ジェンキンスさんとのキスシーンを ニュースで見た時は痺れてしまった。 人前でのキスは北朝鮮では御法度だからあえてした、との話もありましたが、何にしてもこんなに素敵なキスシーンにはそうそう出会った事は無い。 北朝鮮から帰国した時、「とても会いたかったです。」と言った言葉の訛りに「日本語を忘れてしまったのでは?」と報道で言われたこともあった。姿も疲れたようで魅力を感じるといった類いのものでは無かったし。 それがどうよ、どんどん音をたてて綺麗になっていった。 そして彼女の父親、茂さんの存在。 ここに強烈な人間ドラマを感じる。北朝鮮に母、ミヨシさんと共にひとみさんが拉致された時、近所の人に 「ふたりはあんたに愛想つかして出ていったんだよ!」 と茂さんは言われたという。近所の関係が絡み付くような田舎だ、拉致なんて想像すら出来なかったという中で、どんな気持ちでその佐渡の町で生き続けたんだろう!? ひとみさんが北朝鮮から帰ってくるという時も、他の拉致被害者の家族のように空港に向かえに行く事は出来なかった。でも自宅のカーテンを新しいものに変えたり、自分なりのお洒落をして待った茂さんの行動は切ないほど胸を打ってくる。しかもそのお洒落がどうしても遊び人風、指輪をたくさん付けてみたりとやっぱりズレていて、でもそこに茂さんの人間性を垣間見た気がした。 可愛い男の人だな、と私は思った。 家族の問題が世界的な社会問題になってしまう大変さは、私には想像の出来ない大変さがあるのは分かる。簡単に言うべきでは無いし、 勿論、不謹慎なんだろうけど、それでも惹かれてしまうのだ。 とにかく、続行中のこの曽我 ひとみさんのドラマに私はハッピーエンドを期待している。きっとTVドラマの比じゃなく感動すると思うんだけど…… 他の拉致被害者の方は結構“特番”ドラマになってますが、どうして彼女の話はならないのかな? 確かに解決していない事も多いけど、凄い人間ドラマになると思うんだけど。……もしドラマ化の際は曽我 茂役はビートたけしさんで。 ……って、本当に不謹慎な投稿で済みません。 #
by jean-cocteau
| 2006-07-31 15:25
| ニュース、報道について
『愛のコリーダ』
【御注意】最後の方に、少々刺激が強いと思われる画像があります。
苦手な方は御遠慮下さいませ。 このサイトのアクセス解析を見ると、常に『愛のコリーダ』という文字が上位に入っている。ただ、この映画について書いたことは無いんですよね。 (ちらっと『女という病』中村 うさぎ著について書いた時に、ほんの一言触れたのが全てだと思う。) 初めて観たのは『愛のコリーダ2000』の方。要するにノーカット&マスキング有りバージョン。 映画を観たいと思ったのはこのポスターの美しさに惹かれて、だ。 早い話が、惚れた男と愛欲に溺れ、その果てに男を殺し男性器を切り取ったという有名な昭和の猟奇事件です。 1972年、フランスでプロデューサー、アナトール・ドーマンにポルノ映画製作のオファーを受けた大島 渚が1975年(フランス政府がポルノ解禁した年)に製作に取り掛かり、日本初のハードコア撮影(要するに疑似ではなく、本番をしている)という事も有り、当初からスキャンダル含みの映画でした。日本でも『芸術か猥褻か』と論争になり、また三一書房から出版された書籍『愛のコリーダ』は、わいせつ図画販売・同幇助の疑いで告発されたりと、色々と物議をかもしました。なお公開においては世界各地で問題になり、ベルギーでは公開責任者に5ヶ月の禁固刑が課せられたりもしています。 (なお、この三一書房の本は私も古本で購入したのですが、映画製作のいきさつ等が綴られたムック本で、巻頭に映画のスチールがカラーで掲載されているものの、どこが猥褻なのかと言われると??という印象です。) 公開されると、パリでは観客が殺到し17ヶ月に及ぶロングランになったのを始め、ブラジルでも1年以上の大ロングランヒットの末に当時の興業記録を塗り替え、世界中で好評を得ました。この映画を観てクインシー・ジョーンズが作った歌、『愛のコリーダ』も大ヒットしましたしね。 しかし残念な事に日本では“問題部分”に大幅なカットとボカシが入れられた、いまいちよく分からない映画という印象のものでの公開となりました。もっとも本編の8割がセックスシーンであったりもするので、内容よりもスケベ心で観た人には、そんなもので十分、だったのかなという気はします。 そのカット部分が無くなり、ボカシのみになって公開されたものが『愛のコリーダ2000』です。話は数段良くなっているのですが、ボカシがかえっていやらしさ(?)を感じさせてしまい、これでボカシが無かったら本当に感動するのに、という感じがあるものの、(海外版のカット有り&ボカシ無しバージョンも観たのですが、どの映画にも言えるけれどボカシなんて無い方が絶対にいやらしさは無いと思う。)以後、6回映画館に足を運んでしまった、とてもハマった映画です。 ただ、どこがそんなに良かったのかと言うととても説明しづらい。なので説明する時は、あらゆる表現において性ってものが一番表現が難しいのにこの映画は凄い、とかありきたりの言い方しか出来なかったりするのだけれど。 あえて言うなら、ヒロイン定の女の原型みたいなものを感じさせるところとか、 吉蔵が定を見る目の優しさとか、なんだか切ないんですよね、とても。 現実の阿部 定について、出所後に対談した、作家坂口 安吾はこのように言っています。 「東京下町育ちの明るい、気立ての良い美人で、純情可憐な女らしい女。八百屋お七の狂恋に比べれば、お定さんは女の恋であり、むしろノーマルに見えてどこにも変質的なところはなく、純情可憐である。」 そして阿部 定本人はこう言っています。 「32歳になって、生涯たった一度の恋だったのです。愛情なんて、あれ以来全然ほっているんです。私は今でも満足で、あんなことをしなけりゃよかった、なんて思って無いんです。それを世間じゃ、ただ肉欲だけでしたとみるんです。」 「一度も恋をしなくて死ぬ人だってたくさんいるでしょう?」 映画で吉蔵役を演じた藤 竜也は『愛のコリーダ2000』の公開時、 このように語っています。 「惚れる」ってのはこういうことなんだ。 みんな、その覚悟はあるかい? 今でも、パリのビデオショップに行くと、平積みで置いてある名画です。 (フランス版のタイトルは『L' Empire des Sens』官能の帝国、です。) 内容が内容なので総べての人にとって感動する映画なのかは分かりませんが、 私はこの映画がとても好きだし、日本でももっと評価されると嬉しいんだけど…… 当時、新聞に掲載された現実の吉蔵の殺害現場の写真。 余談ですが、この写真で「うっ……」とくる方は映画は観ない方がいいかな〜とも思います。 どうも『愛のコリーダ』の画像で検索している人も定数いらっしゃるので事件現場等も掲載しました。この手の写真が苦手な方にはお詫びいたします。 #
by jean-cocteau
| 2006-07-30 02:05
| 映画、本のレビュー
国をまかされた芸人(汗
最近、1日に平均2册は本を購入している。(そして生活費を切迫している)
←爆笑物です。ご覧あれ。 『ブッシュ妄言録 ブッシュとおかしな仲間たち』 村井 理子 = 編 二見文庫 破壊力では彼(→)も凄いと思っていたが、いやいや、ブッシュには適わない。 そんじょそこらのお笑いよりも凄い発言してます。 こいつにシッポ振ってて それでいいのか、小泉! 多分、彼的にはOKなのだろう。(泣 イラク問題できっぱり『non』と言ったシラク大統領は任期も終わりに近づき、パリに美術館を建設しているらしいぞ。芸術好きとしては、ブッシュの前でプレスリーなんか歌ってないで、そっちの方面に力を入れないかね? (シラクがタヒチで核実験をしたことは本当に遺憾である。それに確か、パリ市長に立候補したときに 「セーヌ川を綺麗にして、私自ら泳いでみせます!」 って言ってなかったか? あの話はどうなったの? 汚いよ、セーヌ。) 最近は“悪の枢軸”国の一つとしてあがった某国がミサイルばんばん飛ばしてるけど、あの書記長にしても危険人物以外の何者でもないし……こいつらに国を任せていいのか、と私でも思えてくるんだけど……どうなの、その辺!? 取り合えず、アメリカ合衆国という大国をまかされたブッシュの発言。 必見です。ご覧あれ。 お笑い芸人だと思えば、ちょっとは彼の行動も許せそうな気かします。(嘘だけど #
by jean-cocteau
| 2006-07-11 14:16
| 映画、本のレビュー
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