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by jean-cocteau
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2008年 03月 24日 ( 1 )

私の砂漠

e0030524_17582478.jpg彼らの地獄 我らの砂漠 事件巡礼
 朝倉 喬司/著 中村 うさぎ/著

私は事件について書かれた本やサイトを見るのが好きです。「好き」と言うと御幣があるかも知れないけれど、犯人や周囲の心理状態には興味があります。
決して「犯罪」に興味がある訳ではないけれど、その犯罪心理というものにはとても興味があるのです。恐らく自分の記憶をたどると、最初に興味を持ったのはこの事件だったと思います。

この本に載っている事件では無いのですが、
金属バット殺人事件
1980年11月29日、神奈川県川崎市にある東急田園都市線宮前平駅周辺のベッドタウンに住む20歳の予備校生の男が、寝室で寝ている両親を金属バットで殴り殺した事件。受験戦争やエリート指向が巻き起こした悲劇とされ、話題を呼び、ノンフィクションやテレビドラマの題材となった。
この事件が題材となった作品は、月曜ワイド劇場『金属バット殺人事件』 1985年4月8日放送、佐瀬 稔『金属バット殺人事件 戦後ニッポンを読む』1997年発行、等。
1997年に刑期満了で出所。


受験戦争、父や兄への劣等感(学歴コンプレックス)、家庭内でのコミュニケーション不足が原因とされる。なお、犯行の動機を「受験勉強に伴う劣等感・精神的維持の限界がもたらした無気力」と指摘し、1981年10月の法廷で証言したのは代々木ゼミナール本校の真向いにある医院(院名は非公表)の女性院長だった。
上記のような問題は全く関係がなく、その他の深刻な問題が絡んでいるとの説もある。田原 総一朗は、「新事実 金属バット殺人『母子相姦説』を追う」の中においてこの事件にエディプスコンプレックス、母子相姦が絡んでいると指摘している。ルポライターの溝口 敦も同様の指摘をしている。しかしこの説は推測の域を出ていない。


この事件が起こった時、私はまだ子供で社会がどんなに騒いでいようとも自分自身のことで精一杯。世の中を震撼させた事件よりも、明日のことのだけが心の大半を占めていた。だから事件が色々原因究明に動き出した頃になってやっと「そんな事件があったこと」を知ったのです。
とにかく私はその事件の内容のインパクトに恐ろしくなり、古い新聞を物置から出してきて事件を知ることに熱中しました。しかし、眠っている両親を金属バットで殴り殺す心理、特に脳みそはぐちゃぐちゃになり天井まで飛び散っていたという事件の全容は既に想像の範囲を超えていた。これが事実だというのが恐ろしい、心の中はまるでスプラッター映画を見せられて、その監督に「これは私が撮ったドキュメントフィルムです。」という告白をされてしまった様なものだ。生々しく心を掻き乱されるのが不愉快で仕方がないのだ。
嫌で嫌で仕方が無いのだけれど、この嫌になる原因を突き止めたいというおかしな欲望に突き動かされて次々と物置きの前にしゃがみ、冷たくなった手で新聞をめくり続ける事を止められないのだ。

しかしいくら彼らの心の動きを知ろうとしても、私は“犯罪心理学者”等では無いから、それこそ映画や小説を読む様に、彼らの状況を想像し、心の動きを想像し、彼らに自分を投影していくしか彼らを知る術は無い。それを考えると想像の中で犯罪を犯しているのは自分なのかも知れないと思う事は少なく無い。とにかく私には彼らが分からない。そして分からないからこそ知りたくなるのです、「もっとも嫌悪感を感じる犯罪者こそ自分に似ている」といつも作品内で言う中村 うさぎの様に。

必ずしも理解出来る人ばかりでは無いが、私は神ではないから俯瞰で事件を見ながら彼らに地獄行きを宣告するような事は出来ない。人間として彼らの心の動きを考えて、時には自分の汚さすら認めながら、考えるしか出来ないのですよ。頭も悪いもんで。

そう言えば、昔読んだ心理クイズの本に「あなたが本当は嫌いだと思っている人を思い浮かべて下さい。そしてその人の嫌いなところを言って下さい。」というものがあった。それの答えは、「その人の嫌な部分と言ったのは、実はあなた自身の嫌なところです。」という結果になるクイズなのですが、昔は「絶対にそんなこと無い!」と思っていましたが、最近は「そうかもなあ……」と感じるのです。

人間だから聖人君子にはなりきれないし、汚いところもダメなところも沢山あるということは、自分自身で本当は気付いている。そんな心の中のひだを弄られるような不快な気分になりながら、いつも犯罪者をこういう気持ちで見つめながら、本当は自分自身と対話している。この本のタイトルの様にいつまで経っても彼らの地獄は我らの砂漠です。いや、我らと言うのが失礼なのなら私の砂漠でいい。いつまで続くのか分からない砂漠をいつまでも歩いていく、いつかオアシスに辿り着きたいと思いながらも。
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こちらはかなり前に購入した本ですが、こちらも面白かったです。
殺人現場を歩く 蜂巣 敦/著 山本 真人/写真
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by jean-cocteau | 2008-03-24 16:53 | ニュース、報道について